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【糞尿雑記 続・糞尿雑記:青木弘貴】


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【糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23
2011/06/23 17:22 に ついついペコ が投稿   2011/06/23 17:35 に更新しました ]


私が幼かった頃は畑のそこいらに「肥溜め」がありました。 

この「肥溜め」に落ちることを「ドツボに嵌る」と言ったのですが…。(最近は八方ふさがりのような意味でも使われているようです。) 

田舎で育った私の年代(50歳代後半)以上の皆さんなら、ほぼ全員がこの「ドツボに嵌る」を体験しているのではないでしょうか。 

私は幸いなことにその洗礼を、全身に受けたことはなく片足首までで済みましたが、それでもとても汚くて臭い体験でした。 

何故そこいらの畑にそんなものがあったのかというと、今でいう「コンポスト」の役目をこの「肥溜め」が担っていたのです。 

糞尿を熟成し液体化させ、それを肥料として野菜に撒いていた訳です。 

化学肥料も普及し出した頃だとは思いますが、少なくとも我が家では、金を出してまで堆肥を買うという考えがない、そんな時代でした。 

我が家も乳牛を飼っていて、牛糞を父が積み重ねフォークや鍬で撹拌し「堆積」を作っていました。家の隣に牛舎があり、牛舎の続きに体積置場がありましたから、これも相当臭く、集落中の人が臭かったと思うのですが、家畜を飼う家は我が家ばかりではなく、野菜作りのための「肥溜め」は、多くの家にありましたから、近隣からの苦情などは全く無かったのです。それが当たり前の時代でもありました。 

私が幼かった頃は、主食である米も、副菜の野菜も完全リサイクルの自給自足でした。 

時季になると畑には様々な野菜や果物が生りました。 

トマトもきゅうりもナスもりんごも丸かじりが美味いのです。 

私は、トマトは塩で、きゅうりは味噌で食べるのが好きでした。 

なすはヘタをつけたままの丸々1個を手で揉んで、ヘタを切り落とし、その切り口に箸で穴を空け、そこへ醤油を少し垂らして、もう一度軽く揉んで食べます。ナスの即席醤油漬けの丸かじりです。 

りんごは果実が少し小さめで酸っぱい「紅玉」という品種の丸かじりが好きでした。 

その頃はまだ水道管の布設はなく、全世帯が井戸水か湧水を飲み水にしていました。 

我が家の前庭にも井戸があり、その井戸水を、台所の流しの隅に置いた大きな水甕(みずがめ)に汲み置きして使っていました。 

人や家畜の糞尿を肥料とした野菜を、殆ど洗いもせずに丸かじりしていた時代ですから、蟯虫(ぎょうちゅう)が腸内に棲みこむことも、赤痢が発生することも当然ありました。 

今ならそれこそ大騒ぎされてしまう大問題が、50年前には何でもない当たり前のことだったのです。私が50年前の暮らしを1人、或いは家族単位でやろうとしても、ご近所様からの苦情は必至でしょう。我が家の裏畑に「肥溜め」など作ったものなら、家族だって私が呆けたと思うでしょう。 

ですが、今の産業技術や科学力をもってすれば、糞尿の終末処理を汚物ではなく、臭気のない貴重な有機肥料に変えることは容易なことだと思うのです。 

太陽光や風力を電気に変える。 

涌水や雨水を飲料水に変える。 

糞尿や家庭の生ごみを有機肥料に変える。 

私はこうした変換処理器を、国の責任で企業と開発してもらいたいと思うのです。 

そんな物なら今もあるじゃないか、と言われそうですが…。   ※続きは投稿欄【続・糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23へ




続・糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23
2011/06/23 17:28 に ついついペコ が投稿

※ 糞尿雑記の続き

私はそれの一般家庭向けの小型処理器を、政府干渉の下に統一規格で開発してもらいたいのです。そしてその処理器を希望する全世帯に無償貸与してもらいたいのです。 

そうすれば、家庭での電気料金、水道料金、生ごみ処理代、肥料代の負担の軽減が図れます。…そんなことをすれば、国家予算が不足するって?!そう考える人もいるでしょうが、本当にそうでしょうか。 

太陽光発電パネルを全国の家々の屋根に置けば、少なくとも一ヶ所に設置するための土地代はかかりません。涌水や雨水を各家庭で飲料水にすることができれば、地方自治体の貯水池や浄水場の負担が軽減され、渇水期の断水等にも対処できます。糞尿も又しかりです。電力会社への国庫負担や、地方行政の水道事業や終末処理場に占める負担割合からしても、私には、この考えが必ずしも間違っているとは思えないのです。 

考えてみれば、昭和49年頃にカシオの電卓が新発売されましたが、この時の電卓は単3電池を6本も入れて使っていました。入力は6桁までの表示で裏画面があり、算出表示数は12桁でした。販売価格も1万円前後はしたと思います。 

それが今では、乾電池不要の12桁の電卓が1,000円も出せばお釣りが返るくらいの価格で買えます。40年ばかりの歳月で時代は大きく変わりました。 

これ程の力が日本企業にはあるのですから、世帯向けの安価な私の考える3種の小型処理器くらい、創るつもりがあれば直ぐに出来る筈です。様は今まで国政の推進者が、そうした視点で物事を捉えたことがないだけのことです。規制緩和や自由競争が、企業の共同開発を消失させたのです。 

個々の企業が独自の開発をして、勝ち残った企業だけが儲かるのではなく、全ての企業が共同し、国の民が益を得られる製品を創り出す政策に転換する必要があるのです。 

そうすればおのずと全ての企業が潤う筈です。 

これからは使い捨ての時代と離別し、使い回しを考える時代にしなければなりません。 

私たちの公共料金や税金は、今まではずっと使い捨てられてきたような気がします。 

今後は有効な資源の使い回し、ということに是非とも視点を変えて欲しいのです。 

地殻変動や異常気象等でどんなに人々が裏切られたとしても、地球も人間も、喧嘩しながらでは双方ともに生きられはしません。地下資源を地球から掘り出して燃やすことの過ちを人間は早く気付かなければなりません。 

私の糞尿や家庭の生ごみを有機肥料に変えることができる家庭用小型変換処理器を、1日も早く国が無償で貸与してくれる日を私はずっと待っています。