【お米の想い出:馨(けい)】2011.1.17

【お米の想い出:馨(けい)】2011.1.11 馨75歳、女性、長野県大町市

2011/01/17 に ついついペコ が投稿

平成5年に福島県に行って来たの。乳がんをやり、いつ命が亡くなるか分らずに、行ったのよ。福島県は、父親の転勤で、昔住んでいた所でね。


福島県の金山町にいたの。そこには随分いたよ。中学3年までいたから。そこは自分の古里と一緒。隣近所の人も、行けば、自分の娘みたいだよ。


そこでの子どもの頃の想い出ねえ。お米を背負って歩いたのよ。農家の人にね、お金じゃなくって、箪笥の中の着る物と交換してもらったの。紋付とか、袴なんかと、お米を交換したのよ。


夜が怖くってね。お墓の前をひたすら走ったの。家までが凄い遠いと思ったよ。


600メートルくらいの距離だったけど、凄く遠く感じたの。今の親はそう言うことさせないよね。母親はそう言うことさせたわよ。


小さい頃からトイレの掃除をさせられて、それが一番強烈に記憶に残っているのよ。


昭和11年生まれなので、そういうことが昭和20年頃から始まったわね。ちょうど小学校の低学年ころだったかしらね。大人が使う大きなリュックにお米入れてもらってね、背負って運んだの。


お米背負って来たが、悲惨だとも、悲しいとも思わなかったね。それが当たり前だと思っていたから。


遊びねえ。お手玉と、まりで遊んだわよ。ゴム跳びも、おはじきもね。お手玉は、片手なら4つくらい上げてやったけど、今はダメね。近所の女の子と一緒に遊び、楽しかったよ。男の子とはあまり遊ばなかったわ。


そうそう、お隣はヤギを飼っていてね。ヤギとニワトリとウサギを飼っていたよ。小さいヤギは人を追いかけるので、遊んでいると怖かったよ。


それでね、綿羊は、わりかし皆飼っていてね、毛を刈るのよ。それが恐くて怖くて。毛が刈られて肌が見えるでしょう。それが怖くてね。


そんな羊の毛で毛糸を作るのよ。飼っているお家は毛を毛糸にしたの。お隣などから頂いてね、編み物にしたの。手袋や、セーターなどにしたのよ。


小さいうちから手袋や靴下を編んだよ。今も毛糸があれば編めるよ。編み棒で編んだよ。自分で履くぐらいはね。母親がねえ、編み物などが得意だったから、覚えるのよね。


お洋服も縫ってくれたし、当時は別に型紙ないよね。何でも、本当にできないものないもの。うちの母親はねえ、手編みでワンピースから、セーターから編んでね、着せてもらった。


小さい時、お米は背負って歩いたけど、そういうの着せてもらって歩いたよ。ちゃんとワンピース着た写真があるよ。