小説・縁桜~えにしざくら〜

小説縁桜~えにしざくら〜 訪夢(とむ)

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2010/08/13 22:40 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/13 22:52 に更新しました ]

瀬戸内海に面したこの町の小高い丘には、縁桜という名をもつ200年以上にわたって咲き続けてきた桜の木がある。

昔、まだ戦争が終わる前のこと・・・悲しい物語の始まりがあった。

それは時を越え現代へと物語を紡いでいく。

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2010/08/13 22:56 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/14 1:28 に更新しました ]

夏陰を求めながら歩くこのコンクリートに囲まれた世界で、僕ら人間は幾度、蜃気楼を目撃してきたのだろう。

今日もまた逃げ水という名の蜃気楼が出現した。

夏の病院というのは、冷房が効いていて、快適なものだと見舞いに来て初めて気が付いた。19年間生きてきて、入院を一度してみたいと不謹慎にも思ってしまった。

エレベーターで3階に行くと、いつもの見慣れた待合室なんてものは無く、ナースステイションを中心に、隔離された部屋が左右に広がっていた。一つ一つネームプレイトを確認しながら部屋を探す。

「俊の苗字ってなんだったけ」

隣を歩いていた剛がおもむろに口を開いた。

「…剛。それはさすがに酷いと想うぞ…」

「だから、聞いてんだろ」

「…勝山…じゃなかったか…」

曖昧な記憶を頼りに、俺は確認しながら口にだした。

「おぉ。そうだ。勝山だ。さすが頼りになるぜ、涼夜は」

剛が俺の背中を、勢いよく叩いたおかげで一歩余分に脚が出る。

「いっ。だから叩くなって」

「まあまあ。さて勝山俊君はどこで寝てるのかな」

剛は背中をさすっている俺を尻目に、早々と病室を見つけ、ドアをこれまた勢いよく開け放った。

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2010/08/14 1:30 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/14 1:32 に更新しました ]

「俊!生きてるかぁ」

迷惑極まりない大声を出す剛に頭を、さっきのお返しとばかりに俺は叩いてやった。

「痛っいな。何すんだよ」

「うるさい。病院でそんなバカデカイ声だすんじゃない」

「うぅぅぅぅ……」

「うぅ、じゃない。誤りなさい、剛」

「……ごめんなさい…」

剛はまるでガキが母親に叱られた時のような顔で頭を下げる。その姿を見た辺りから、冷やかな視線や、微笑が漏

れた視線が注がれた。

「てめぇら…人の病室でなにやってんだよ」

ベッドで足を吊られた姿で俺たちを、睨み付けながら俊は言った。

「おぉ。生きてたか…ドジな俊君」

「剛ぃ。てめぇ」

剛のドジを強調した嫌味たっぷりの言葉のおかげで、俊の顔は真っ赤になっていた。

「まあまあ。俊、そんな怒るなよ。……車を避けた拍子に転んで骨折するなんて……ドジ以外ないだろ…あはは」

口に出している間に、連絡が来た時のことを思い出して笑いが止まらなくなる俺。

「そんなに、笑うことじゃないだろ」

「いやぁ。俊は牛乳をもっと飲むべきだ。なぁ、剛」

「そうだな。身長も伸びるんじゃないか?」

「……もうお前ら…帰れよ」

さすがに軽く落ち込んだのか、肩を落とす俊。そこに剛の手元から離れた、A4サイズの紙袋が、布団の上に乗る。

「……なんだよ…これ」

「感謝して読めよ。青少年のバイブルだ」

剛は少しいたずらっぽく言った。

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2010/08/14 23:19 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/14 23:31 に更新しました ]

俊はそれを紙袋からゆっくり取り出した。取り出した雑誌の表紙には「人気の仔犬ベスト100」と書かれた可愛らしいものだった。

「……なに…これ……」

「青少年のバイブルだ。仔犬のあんな姿や、こんな姿が盛り沢山なんだぞ!?」

「いや、確かに可愛いけど…」

落胆する俊の姿を横目に、俺はふと窓から見える外の景色に目を移した。

外を歩く多くの人の姿は、涼んだ病室からただ眺めている俺でさえ、外の蒸し暑さを感じさせた。そんな中、たくさんの人がいる中で、俺の目が止まってしまう医師がいた。

相当暑いはずなのに、表情を崩すことが無く、凛とした背筋に黒く長い髪。そして白衣をまとった彼女は、まさに誰もが想像する「医者」と言う言葉のイメージそのものの姿をしていた。それでいて、患者に向けられている笑顔を見ると、女性の温かさを感じられずにはいられず、不覚にも俺は、彼女から目を離すことができなくなっていた。まるで時が止まったかのように。

「……うや…りょう……」

何か声が聞こえる。しかしまだ、時を動かしたくないと全身が訴えっていた。少しずつ音が消えてゆく。また

彼女に焦点が定まってゆく。

「おい!涼夜」

左から聞こえる大きな声。そして左肩から伝わる衝撃が、止まった全身の時間を一瞬にして動かした。

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2010/08/15 21:37 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/15 21:39 に更新しました ]

「あ?……なに?聞いてなかった…」

数秒の沈黙が訪れた。

俺が二人の顔を見比べると、どちらともなくため息が漏れた。

「え……あっ…ご、ごめん…なっ、なに?」

気まずい雰囲気をなんとかしよと、少し慌てる俺に、

「もういいよ………どうせ美人看護士にでも見惚れてたんだろし…」

と、俊は呆れた顔でまた一つため息を漏らした。それに対して「美人看護士」の言葉に反応したのか、外を食い

入るように見る剛。

そこにベッドから動けない俊が剛に声を掛ける。

「くすっ。で?剛」

「あ?」

「美人看護士さんはいたか」

「ああ。ここの病院、結構レベル高いぞ」

「じゃぁ。涼夜が見惚れちまいそうな子は?」

「あ―。ちょっと待ってろ」

二人の話はどんどん進んでいこうとしていた。

なんだか急に恥ずかしさが込み上げてきて、話を逸らせようとしたが、さらりと交わされる。

「おい。涼夜」

「…なんだよ…」

二人が一旦こうなると、逃れることができないことを、知っている俺は、しぶしぶ付き合うほかなかった。

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2010/08/16 22:20 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/26 21:19 に更新しました ]

「あのじいちゃんの車椅子押してる子か?なかなかの美人じゃね」

まず、剛の言った子を探す。

「あ―……違う」

見つけると即答する。そして剛が次の子を探す。それを10回ほど繰り返すかと思った時、剛が悩みだした。

「……………」

「………………」

「……………」

三人の間にまた沈黙が訪れた。

「分かった!」

沈黙を破る剛の言葉。

「髪が長くて」

「髪が長くて……」

俺はまさかと思いつつも、さっきの彼女の姿を探した。

「結構細い」

「結構細い……」

「たぶん女子高生」

「たぶん女子…高……生……?」

ほっと胸を撫で下ろして、女子高生の姿を探す。……が、確かに可愛いかもしれない、しかしそれは俺の好みとかけ離れたザ・ギャルという感じの子だった。

「………あれは、お前の好みだろ……」

「分かった?」

「分かるも何も、俺の好みじゃないからな……」

「じゃぁ、お前の好みの子は、どこにいるんだよ」

剛は俺の返答に不満があったのだろう。眉間にしわを寄せて、少し低いトーンで言った。

「もういない」

俺は即答した。

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2010/08/18 1:10 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/18 1:13 に更新しました ]

「いない?しっかり探したのか」

「さっき探していなかったんだよ…」

「もう一度、しっかり探せ」

剛の眉間のしわが一本増え、声が大きくなる。そこで俊が口を開いた。

「剛…ここ病室なの忘れてない?」

「……あっ。忘れてた…すまん俊」

「分かってくれればいい。それでは、話を戻そうか剛」

「あぁ。そうだな」

俺は、二人の態度に奇異な感じを受け、「助かった」と一瞬でも、思ったことに後悔した。そして、この場を脱出する方法を必死で模索した。

「いっ、いや。も、もう帰るよ。長居しちゃったし…うん…」

「そんなこと言うなよ、涼夜」

「俊がこう言ってんだから、ゆ~っくり話してこうぜ、涼夜」

俺の提案はさらりと無効とされ、少しずつ逃げ場を失っていこうとしていた。しかし、ある言葉が頭の中に浮かんだ。「これだ、これしかない」とすがりつく思いで、その言葉に飛び付いた。

「…写真……写真!撮りに行かなきゃいけないんだ」

と言うと、二人は同時にため息を付いた。

「で?今回はどこまで行くの」

俊が言った。

「う、海まで?」

二人から「またか」という雰囲気が、俺の身に襲ってくる。

「写真ばっか、撮ってるから、彼女ができないんだよ」

剛の言葉に少しカチンとなりながら、「ここで付き合ってはいけない」と、ほんの少し我慢をして、

「じゃぁ帰るわ。また来るから」

と言う。

「分かったよ。来てくれてありがとな」

「あぁ。じゃぁな」

まず俊に手を振る。そしてまだ不満そうな顔をしている剛に手を振ると、俺は逃げるように病院を後にした。

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2010/08/19 23:50 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/26 21:30 に更新しました ]

アパートに向かっている途中。本当に、海を撮りたくなっている自分に気が付いた。腕時計をチラリと見る。4時。

俺は急いでカメラを取りに、アパートに向かうことにした。

2階建てのアパートの階段を上って一番奥の扉を開けると、部屋にこもっていた熱風が一気に外へと押し寄せる。カメラを手に取ると、早々と部屋を出る。外の風の心地良さを感じながら、俺は海へと向かった。電車を3回ほど乗り継ぎ、1時間ちょっとすると、海が見えてくる。電車を降りると、潮の臭いが強くなったのを感じる。

浜辺が近づくにつれて、帰宅する家族の姿が目立ち始める。日焼けもしっかりして、海を満喫した子。まだ遊び足りなく駄々をこねてる子。遊び疲れて、お父さんの背中で夢心地良さそうに寝てる子。そんな様々の温かく微笑ましい姿を少しずつカメラに納めていく。夕暮れ時の浜辺はさっきとは一変、恋人達の姿が目立つ。夜になれば友人達と花火をする人の姿。その一つ一つの光景を、またカメラに納めっていった。ふと「病院で見た彼女なら、どんな風に撮れるんだろう」なんて思ったりもしたが、その考えはすぐ打ち消す。今あるこの瞬間を撮り逃したくなかったから。

気が付けば、時刻は10時を回っていた。来た時の道を戻る。

家に着いた俺は、帰宅途中に買った弁当で腹を満たすと、ベッドに身を投げ夢見へと落ちていった。

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2010/08/21 23:11 に ついついペコ が投稿 [ 2010/08/21 23:16 に更新しました ]

結婚を誓い合った若い二人の元に戦争の悲劇が襲う。

赤紙が届いたのだ。喜ぶことはできても、嘆くことは許されない中で男は、恋人のことで悩んだ。許された期間は、わずか数日しかなかった。

暁の光が差し込む、寝る前と何も変わらない部屋で、背中に大量の冷や汗を掻いて俺は目を覚ました。

「はぁはぁ…あれ……なんの夢…見てたんだ?」

とても嫌な夢を見ていた気がするのに、何も思い出せない。そんなモヤモヤした気持ちの中、俺は置時計を覗いた。時計の針は5時を指していた。いつもなら後2時間は寝ている時間帯。それなのに寝るのを拒むかのように俺の頭は冴え渡っていた。

「はぁ。なんなんだよ…まったく」

深いため息が出た。脱いだTシャツはびっしょりと、想像以上に濡れている。それを見てまた、ため息が出る。しかしそんな最悪な朝を、迎えることになった原因の夢のことは、パソコンに向かい、写真の整理をしていると自然と忘れられた。「なんてことはない、どうせ夢なんだし」と半ば諦めも入りつつ。

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2010/08/31 2:26 に ついついペコ が投稿 [ 2010/09/01 14:18 に更新しました ]

赤紙が届いた次の日には、ご近所の人達が来て口々にこう言った。

「この度は誠におめでとう御座います」と。

「りょうや兄ちゃん…」

まだ幼い声が涼夜を呼んだ。その声のする方に振り返る。

「おぉ。かず、来てくれたのか。ありがとうな」

涼夜はかずの頭を撫でながら言った。すると、かずの瞳はみるみる涙でいっぱいになっていく。

「どうしたかず。誰かにいじめられたのか?」

涼夜の問いに、かずは目一杯かぶりを振った。

「じゃぁどうしたんだ。かず……言ってごらん」

下を向いている、かずの顔を涼夜が覗き込むと、かずの顔はすでに涙でグシャグシャになっていた。必死になって服の袖で涙を拭くが、涙はとめどなく流れ続けていた。

「りょう…やっ…兄ちゃん。ひっく…もう…戻っ…て…ひっく…こないの」

かずは嗚咽を漏らしながらも、涙を拭きながらも、涼夜の目を見て言った。その真剣な眼差しは、涼夜の言葉を詰まらせた。もう答えるべき言葉は決まっていたはずなのに…。

「かず!おめでたいことなんだから、泣くんじゃないの」

「……ごめんなさい」

かずの母親が、周りの目を気にしている姿は、涼夜の心を痛ませた。かずの問いに答えることもできず。その場でかばうことも、取り繕うこともできない。それは無力の他、何ものでもなかったからだ。せめて、戦地に向かうまで笑顔で居続けようと、涼夜はその時心の中で強く誓いを立てた。

その日涼夜は、恋人の熒(あかり)の姿を幾度となく探したが、見つけることはできなかった。その代わり手紙が手元に届いた。

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2010/09/25 14:11 に ついついペコ が投稿 [ 2010/09/26 0:34 に更新しました ]

―丘の桜の木の下で待っています―とだけ書かれた手紙が。

涼夜がその桜の木の元に向かったのは、夜更けになってからだった。もう居ないかもしれないと半ば諦めつつ、それでも居て欲しいと願う気持ちは、涼夜の足を走らせた。

月に照らされた桜を見上げている、熒の姿を見た涼夜の足は必然的に止まった。会いたかった大切な人がすぐそこに居るのに、出したい一歩が出なかった。呼びたい名前がそこにあるのに、出したい声が出なかった。風が吹く。舞う花弁。長い髪を押さえる熒の姿。その一つ一つが、時代の中で揺れ動く涼夜の心ごと時を止めていたのだ。

不意に涼夜の方に振り向く熒。氷が溶け出すように、涼夜の足は動き出した。

泣きたくなるほどの切なさ、無力感、そしてどこか温かく優しい気持ちが入り交ざった中で、俺は目を覚ました。なにか大切なことの気がするのだが、今回も思い出せない。それでも「どうせ夢なんだ」と拭い切れない気持ちとともに、何かから逃げるようにカメラを手に取り家を出た。

その日、俺は何かに引き寄せられるように、丘に登った。

「ふっー。結構、距離あったな…」

遠くからは、すぐそこに見えるのに、実際に登ってみると思っていたよりも遠く、俺の運動不足の脚には、少し堪えるものがあった。しかし、体の疲労感とは反比例して心は、軽くなったような気がした。

「ん?花弁…桜?…まさかな…」

俺の掌に、一枚の桜の花弁が舞い落ちた。「もうすぐ7月が終わるというこの季節に桜が咲くはずがない」と解っていても、俺は桜の木を探した。

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2010/12/30 16:53 に ついついペコ が投稿 [ 2010/12/30 17:03 に更新しました ]

「無い…なぁ…」

辺りを見渡しても、あるのは大きな緑の葉を付けた木が一本あるだけだった。俺はもう一度、掌の上に在るはずのモノを確認する。

「…あ、あれ……?」

掌にあったのは緑の葉が一枚。

「暑さで、やられたのかな…」

何気無く葉をポケットに入れると、俺は木の根本に座り込んだ。木陰に入ると熱風と感じていた風が涼風に変わり、木漏れ日が静かに揺れる。それは俺をいつになく穏やかな気持ちにさせた。

目を閉じると、甘い桜の香りが鼻を掠める。何か大切なことを忘れているような気がした。頭に浮かんできたのは、あの内容の思い出せない夢のこと。そして、名も知らないあの病院の彼女。それは打ち消そうとしても、消えることはなかった。

考えても答えの出せないものは、時間を無情にも過ぎさせていくだけだった。