【多少元気な頃の「大塩のイヌザクラ:静の桜」長野県北アルプス山麓大町市美麻大塩】

長野県天然記念物に昭和37年7月12日に指定されていながら、惜しくも2021年6月5日に倒木となってしまった静御前にまつわる「静の桜」の、多少元気な頃の画像をご紹介します。

長野県北アルプス山麓大町市美麻大塩にあり、地域の皆さんから愛し続けられ、親しまれていた巨木でした。「大塩のイヌザクラ」として長野県天然記念物に指定されていましたが、すでに姿を見ることができないのが残念です。

多少元気な頃の「大塩のイヌザクラ:静の桜」長野県北アルプス山麓大町市美麻大塩 2011.7.3

大町市の公式観光サイト「信濃大町ナビ」によれば、樹齢約800年ともありますが、詳細は不明です。倒木の原因も分かりませんが、県教育委員会が現地に設置した説明書によれば、「幹まわり8m余り・・・高さ20m・・・このような巨木は他では見られないものであり、本県最大のものとして県天然記念物に指定された」とあります。どうやら美麻大塩のシンボルツリーだったようです。

私が静の桜を撮影したのは、この巨木が根こそぎ倒れる10年前の2011年7月3日です。大町市の皆さんから話に聞いてはいた静の桜でしたが、花が咲いている時期はとっくに過ぎていましたし、その後も行っていませんので、花を見る機会を完全に逸してしまいました。今になったら「惜しかった〜」としか言いようがありません。

「大塩のイヌザクラ:静の桜」の長野県教育委員会による説明書:長野県北アルプス山麓大町市美麻大塩 2011.7.3

静御前については日本各地に伝説があるようですが、大町市にも実は伝説があったのです。

今は合併して大町市となった美麻村ですが、その村の大塩は、源義経の愛した静御前が亡くなった地とされています。

京都にいた義経は鎌倉にいた異母兄の頼朝に追われた時に、西海に逃れようとして尼崎を船出したようですが、嵐で難破し、その後吉野、奈良、比叡、伊勢、美濃を隠れ歩き、2年後の1189年に奥州藤原氏を頼って東北地方の奥州平泉に逃れたようです。

義経を思う静は、吉野までは一緒だったようですが、吾妻鏡によれば京に戻ったようです。その後、1186年に母と共に鎌倉に送られたとあるようです。鶴岡八幡宮では頼朝に舞を命じられ、義経を思う舞を舞ったとか・・・

すでにその時に静は義経の子を身もごっており、生まれてきた子供は男子だったために由比ヶ浜に沈められたとのことです。

恐らくその後のことでしょう。静は京に帰されたようですが、桜の木の枝を杖にして静は義経のあとを追って旅に出ました

京都から東北への旅ですが、頼朝がいる鎌倉を通るとは思えません。美濃から信濃に入ったのか、京から越前、越中、越後を経由して信濃に入ったのかは不明です。

当時、東北の奥州とは全く別の信濃国の大塩「おおしう」と呼ばれており、どこからなのか、間違った大塩に向けて旅を続けてしまったようです。ついに義経と再会を果たすことなく、大塩に着いた静はそこで息絶えたそうです。

奥州に逃げた義経も2年後、現在の平泉で妻子と共に、頼朝による嫉妬と陰謀によって殺されるという悲惨な結末となりました。1189年のことで31歳した。

義経には妻子がいたにもかかわらず、義経への愛を貫いた静を偲び、地元の皆さんは、杖から芽吹いたとする桜を「静の桜」として、大事に守ってきました。

江戸時代中期には、静の守り本尊とされる薬師如来を祀る薬師堂が建立され、「平成年度美麻村では、村興し事業の一環として此の地を公園化するにあたり本堂を建立し、講員念願の信仰心に應えることとなったものである。」と、現地にある「薬師堂縁起」に記されています

生まれて間もない義経との間に生まれた男子を殺されたり、義経の後を追って大塩まで来て、その地で息耐えたなど、壮絶な生き方をした静に、地元の皆さんは信仰心にも似た思いを何百年にもわたって寄せ続けていたのでしょう。

公園の中の「大塩のイヌザクラ:静の桜」長野県北アルプス山麓大町市美麻大塩2011.7.3

ところで、倒れる10年前の画像を見てください。巨木は、まだ緑の枝を四方八方に張り、威厳を放っています。

しかし、見る角度によっては、幹の多くは朽ちており、包帯を巻いたような姿にも見えてしまいます。

巨木が朽ちていく姿を村人はどう見守っていたのでしょう。美麻大塩までやっとの思いでたどり着きながら、義経に出会うこともできずに息を引き取った静の姿と重ね合わせながら見ていたのかもしれません。

根元周りは、これが桜の木かと思うような肌をしていますが、これがイヌザクラ特有の肌なのでしょうね。

ここに辿り着くまで歩き続けた静の足も、きっとタコや傷ができて痛々しかったに違いありません。大きく空いた口は何を叫んでいるのでしょう。義経の名や、義経との間にできて間も無く殺されたという我が子の名を呼び続けているかのようです。村人たちも、そんなことを思いながらこの巨木を見つめ、守り続けていたような気がします。

近くにの祠があるので、そこがてっきり静御前の眠る墓かと思った私でしたが、どうやら墓は大塩からは西の北アルプス餓鬼岳の麓近く現在大町市となった旧常盤村にあるとも社松崎にあるとも言われているようです。「薬師堂縁起」によると、現地にある石祠(下の画像)は、江戸末期建立されたものだったようです。

「静の桜」近くにある石碑:長野県北アルプス山麓大町市美麻大塩 2011.7.3

大塩は、松本市から長野市に抜ける国道19号線と、大町市から新潟県糸魚川市に抜ける国道148号線に挟まれた山の中です。もう静の桜の大木はありませんが、建物の中にある静の桜にまつわる説明書などを読むことができます。

《参考資料》

Wikipedia

ブリタニカ国際大百科事典

大町市の公式観光サイト「信濃大町ナビなど